第6回 自分の道は自分で切り拓く!女性の憧れココ・シャネル
第6回 自分の道は自分で切り拓く!女性の憧れココ・シャネル
わたしは言うてブランドに興味ないほうです笑
そんなわたしも知っているブランド ”シャネル”
なんだか大人の女性って感じがします
そんなシャネルブランドの創設者、ココ・シャネルの人生を紐解きます。
目次
プロフィール
本名:ガブリエル・ボヌール・シャネル
生誕:1883年8月19日
死没:1971年1月10日(87歳)
出身:フランス・ソミュール
かんたんな人生紹介
1883年(0歳)
★フランス南西部ソミュールの救済病院にうまれる
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1894年(11歳)
★母親を病気で亡くし、姉と共に孤児院に預けられる
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1901年(18歳)
★お針子として孤児院を出たのち、カフェ歌手になる
★このころに愛称である「ココ」と呼ばれるようになる
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1910(27歳)
★パリに「シャネル・モード」という名で帽子専門店を開店
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1914年(31歳)
★前年に「シャネル・モード」2号店を出店するも第1次世界大戦勃発
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1921年(38歳)
★35歳のころには第1世界大戦も終戦
★ここでかの有名なシャネル初の香水「No.5」「No.22」を発表
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1924年(41歳)
★香水を取り扱う社団法人「パルファム・シャネル」設立
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1939年(56歳)
★当時4000人を抱える大企業として成長したシャネルだったが、
コレクション前の苛烈な労働条件に労働者側がストライキを敢行^^;
シャネルは一部店舗を残し、すべてのビジネスを閉鎖・一時引退
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~1954(71歳)
★この間の15年間はファッション業界で沈黙を守る
★スパイ活動を疑われたり色々大変だった。
★そして1954年ファッション業界にまいもどる
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1955年
★「シャネル・スーツ」を発表
★「過去50年間でもっとも大きな影響を与えたファッションデザイナー」として
モード・オスカー賞を受賞
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1971年(87歳)
★晩年は孤独による不安や恐怖などの症状と不眠症になやまされ、
1日1本のモルヒネ注射がかかせなくなっていた。
★パリのリッツにコレクションの準備中に亡くなる
マリリン・モンローとシャネル
シャネルの香水といえばマリリンモンローのイメージがあります。
聞いた方も多いのではないでしょうか?
「ベッドでは何を着ているの?」
という質問に対して
「寝るときにまとうのはシャネルの№5だけ」
と答えたエピソードなんですがなんかすごい…大人な感じ笑
この言葉はマリリンモンローのイメージとも重なって世界中で有名になります。
ココ・シャネルの名言
女性向けの自己啓発本に頻繁にでてくる彼女の言葉
やっぱりバリバリのキャリアウーマンとして大成した彼女の言葉は
万人に響くものがありますよね。
そんな彼女の名言を紹介
「翼を持たずに生まれてきたのなら、翼を生やすためにどんなことでもしなさい」
環境を嘆かずに、自ら行動するのが大切
「欠点は魅力の一つになるのに、みんな隠すことばかり考える。欠点はうまく使いこなせばいい。これさえうまくいけば、なんでも可能になる」
欠点は自分の個性と思って好きになれば見え方がかわりそう
「美しさは、あなたがあなたらしくいると決めた時に始まる」
自分をまるごと受け入れるって美しさにかかわらず大事なこと
「20歳の顔は自然の贈り物。50歳の顔はあなたの功績」
すてきに年を重ねたい・・・
「その日、ひょっとしたら、運命の人と出会えるかもしれないじゃない。その運命のためにも、できるだけ可愛くあるべきだわ」
ちょっと近所だから…とジャージにボサボサ頭で外出たことを反省
ほかにもココシャネルの名言はたくさんあるので是非調べてみてください!
総括
シャネルのブランドのイメージからあるように、
すごいお金持ちであまり苦労してなさそうなイメージでしたが
生まれからかなり大変だったんですね。
だからこそ自ら幸せを掴みに行くハングリー精神が強かったんでしょう。
わたしも最近、「何かを変えたければまず自分が動かなければならない」
ことの重要性を痛感してます。
待っているだけの受け身の姿勢じゃ何も生まれません。
何事もまずはやってみる!が大事ですね( ^ω^ )