第1回 不撓不屈の白衣の天使 フローレンス・ナイチンゲール
\第1回 不撓不屈の白衣の天使 フローレンス・ナイチンゲール/
[生誕]1820年5月12日
[死没]1910年8月13日(90歳)
[著名な実績]近代看護教育の母
[職業]看護師・統計学者
(Wiki参照)
第1回目はナイチンゲールです。
小学生の時読んだ本に感銘を受け、看護師になりたいと卒業文集にも書いていたのに
数学が壊滅的に苦手で断念した思い出・・・
恵まれた家庭に生まれたにも関わらず、自分の信念を貫き通した理想の女性像です。
【おしながき】
かんたんな人生紹介
*裕福なイギリス人夫婦の次女として生まれる
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*小さいころは勉強が大好き!とても頭もよかった
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*たびたび行っていた慈善訪問で貧しい人と触れ合うにつれ、そんな人々を助けたいと思うようになる
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*家柄上、舞踏会などに行くこともあったが興味を持てずにいた。
*教養もあり、自分の考えもしっかり持っている彼女は当時の女性にしては珍しかったらしく、男性にモテていたらしい。
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*裕福な暮らしをするも、やはり人を助けたい気持ちを捨てきれず、親の反対を押し切り看護の道へとすすむ
(※当時看護婦とは身分の低い女性(売春婦とか)が就くものでした。)
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★1854年(34歳)
看護の実務経験を積んだ彼女は時の戦時大臣よりクリミア戦争に看護婦として赴いてほしいと依頼を受ける
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ここで看護婦ナイチンゲールとして衛生状況の改善などにあたり、傷病兵の死亡率を激減させるなど伝説的な活躍をする。
戦地の仮設病院は巨大な汚水溜の上に築かれ、建物も腐食。下級兵士は飲んだくれの無頼漢で彼らに清潔さや安楽さを求めるのなんてムダという考えが浸透していた。
しかしナイチンゲールは病人の大群が雪崩れ込めば24時間ぶっ続けで立ち働き、包帯をするのに8時間跪き、冬には2000人もの患者の臨終に付き添った。
★この辺が有名なナイチンゲール像かと思われます。
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*クリミア戦争から帰還後、現地で得たデータをもとに統計をまとめ分析。
これをもとに衛生政策や組織改革を提案し実現
*教育者としても活動を行い、後進の育成にも力を注いだ
グッとエピソード
軍医長官に在庫を使わせるよう詰め寄るが「許可なしに開けられない」という長官に対して在庫の箱の蓋を拳骨で叩き割り「あら、開いたから持っていきますね」というエピソード
す、すごい・・・・・笑
ナイチンゲールが遺してくれたもの
・ナースコール
・部屋を広く確保、窓はベッド一つにつき一つ設置するといった病院建築の提案
などなど….
ナイチンゲールの名言
『天使とは、美しい花を振り撒く者ではなく、苦しみあえぐ者の為に戦う者のことだ』
・この言葉からもナイチンゲールの強い想いが伝わりますよね。
『物事を始めるチャンスを、私は逃さない。 たとえマスタードの種のように小さな始まりでも、 芽を出し、根を張ることがいくらでもあるのです。 』
・チャンスの神様は前髪しかない、っていいますよね(前髪しかない=目の前を通った時につかまえないと後ろ髪はない)
『人間は一生に一度きりではなく、1日ごとに気持ちを改めていかなければならない』
・毎日を新鮮な気持ちで生きなければいけませんね。
ナイチンゲールから感じること
・「ナイチンゲールって確か看護師だったよなぁ。優しそうだなあ」と思っていましたが、本を読んでからは自分の信念が強く、なおかつ有言実行な人だったのだなと感じました。
『苦しむ人を救いたい』この気持ちの一心で人生を駆け抜けた不撓不屈の女性。
みなさんは自分の人生をかけて、貫き通したい想いはありますか?