第5回 約160億の借金があった藩を立て直した経営のカリスマ 上杉鷹山
第5回 約160億の借金があった藩を立て直した経営のカリスマ 上杉鷹山
かの有名な米国第35代大統領ジョン・F・ケネディが
日本で最も尊敬する政治家として名前を挙げた上杉鷹山。
上杉といえば謙信だけど今回は鷹山。
私もここ何年か前に知りました。
「なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも」の格言は
実は上杉鷹山の言葉です。
どのように藩を立て直していったのか、その業績を見ていきます。
目次
プロフィール
生誕:1751年9月9日
死没:1822年4月2日(71歳)
かんたんな人生紹介
1751年
↓
1761年(10歳)
★母方の祖母が米沢藩主の娘という縁があり上杉家の養子となる
↓
1778年(17歳)
★米沢藩の藩主になり、様々な改革を始める
↓
1785年(34歳)
★家督を隠居
★逝去まで後継藩主として政を実質指導
↓
1822年(71歳)
★疲労と老衰のため、睡眠中に死去
そもそもなんでそんなに借金が?
上杉家は天下分け目の関ヶ原の戦いの時、
敗北した西軍側に味方をしていました。
そのため徳川家康から120万石⇒30万石に減らされ、
3代目のころには15万石に減らされてしまいました。
(ちなみに1石とは米俵2.5俵分。この量は成人男性が1年間に食べる米の量を基準に決められました。
「1万石」=1万人の男性が1年に食べる米の量
=1万人の家来を食べさせられる
=それだけの力を持つ大名、ということ)
出費が多く財政が苦しい
そのため農民に重税を課すため、藩から逃げる人もいて借金が膨らむ一方だった
改革Ⅰ
<自ら進んで倹約に勤しむ!>
◎日常の食事は1汁1菜。
◎衣服は上等な絹ではなく綿で作られたもの
◎奥女中は50人⇒9人に減らす
家臣たちに倹約を求めるだけでなく自分から率先して質素な暮らしをしました
改革Ⅱ
<帳簿をつくる!>
「御領地高並御続道一円御元払帳」という
1年間の藩の収入・支出・借金などを詳しく記載した帳簿をつくりました。
財政難を克服するため、まずは財政の全体を明らかにする。
節約するにしても何にお金を使っているかハッキリさせないとですもんね。
改革Ⅲ
<多くの人の意見を聞く!>
政治所脇に「上書箱」という意見を入れるための箱が設置され、
所属を明確にすれば、百姓や町人も意見書をいれることが出来ました。
改革Ⅳ
<田畑をひらく!>
財政を安定させるために農業生産を増やして安定させることが大切と考え、
農民だけでなく、武士に対しても田畑の開発を促しました。
改革Ⅴ
<飢えをしのぐ!>
上杉藩の財政は飢饉や凶作でも苦しみました。
そのため、飢饉や凶作に備える蔵を各村に立て、
毎年1人1升ずつの籾(もみ)を蓄えさせました。
また、「飯粻集」という、食べられる野草などの食料に関する知恵をまとめた
本も出版しました。
改革Ⅵ
<心構えを変える!>
①無駄なしきたりをやめる
②信賞必罰
総括
質素倹約に努め、民への思いやりも持ち合わせた上杉鷹山。
上に書いている改革以外にもたくさんの改革をしました。
彼が没したときには約160億あった藩の財政はあらかた返し終えていました。
自ら率先して倹約に勤しむってポイント高いですよね。
最後に例のあの名言でしめたいと思います。
『なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬは人の なさぬなりけり』
(やろうと思えばなんでもできる。できないのはやろうと思わないからである
やろうとすることは他人の為ではなく自分の為になるのである。)