第2回 日本人ならみんな大好き!? 福澤諭吉
第2回 日本人ならみんな大好き!? 福澤諭吉
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
みなさんも1度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
学問のすゝめ・一万円の人(笑)などで有名な諭吉先生です。
【プロフィール】
名前:福澤諭吉
死没:1901年2月3日 66歳
慶應義塾大学の創設者・翻訳家・教育者
身長:173cm
(当時の健康診断書による。ちなみに当時の男性の平均身長155cm台に比べてめちゃくちゃ大きい)
体重:67.5kg (〃)
目次
かんたんな人生紹介
★1835年(0歳)
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★1849年(14歳) 私塾に通い始め
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★1858年(23歳)
江戸の藩邸で「蘭学塾」を開く
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★1860年(25歳)
自分のオランダ語が通じるか外国人に話しかけるも全く通じず( ;ω; )
なぜなら外国人の話す言葉は英語だったからです。
これからの時代は英語だと気づき、英和辞典がなかった当時、英語をオランダ語に訳した辞書を使って英語を独学しました。
★この時代にいちはやく「英語教育の必要性」に気づきます
そこで大きなカルチャーショックを受けます
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★1864年(29歳)
江戸幕府の「翻訳御用」になる
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★1868年(33歳)
(戊辰戦争の時も大砲の音を聞きながら講義をしつづけたらしい)
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★1872年(37歳)
「学問のすゝめ」を発行。
生まれながらにして上下の差はないのに、貧富の差や身分の差が出来るのは
「学問」のあるなしが原因で、その「学問」とは実益を伴ってこそだと説明してます。
庶民にも買いやすいように漢字に読み仮名を振るなど工夫されました。
そして当時の日本の人口3500万人に対して350万部の大ベストセラー!
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★1901年(66歳)
脳出血により死亡。1984年(割と最近)に1万円札の肖像になる。
福澤諭吉の功績・エピソード
<①海外に出向き、その文化を日本に取り入れた>
それまで庶民には馴染みのなかった肉食や西洋の衣食住を定着。
また、和製漢語もたくさん作っており、
「自由」「演説」「社会」「経済」という漢字も諭吉先生が作ったんです。
「自由」という言葉は、他の候補に「御免」という言葉があったとか。
もし御免になっていたら「自由の女神」ならぬ「御免の女神」・・・(^ω^;)笑
<②日本銀行の設立に大きく貢献>
「保険」とはそもそもイタリアの都市国家ベネツィア共和国が始めました。
地中海貿易は危険が伴うため船とその積み荷に「保険を掛ける」という発想が生まれたのです。
それまで日本では災難があれば親族間でなんとかするで!という考え方が根強かった
そんな日本に保険を紹介したのが福澤諭吉。
福澤諭吉が保険を紹介してから15年後日本初の生命保険会社が登場(今の明治安田生命)
日本の生命保険加入者第一号になりました。
<③素晴らしい教育者>
有名な「学問のすゝめ」からいくつか抜粋します
★『賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによって出来るものなり』
(世の中の格差は生まれ持った才能や富ではなく学ぶか学ばないかである)
★『進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む』
(前に進まないものは必ず後退し、後退しないものは必ず前に進む)
★『学びて富み、富みては学ぶ』
(勉強してお金を稼ぎ、稼いだお金はさらなる勉強につかって富を築いていく)
<④めちゃくちゃ酒飲み>
少年の頃からお酒が大好きだった諭吉先生。
禁酒中に「ビールは酒ではない」という名言(笑)を繰り出し毎日ビールを飲む。
そんななか友人に「酒の代わりにタバコを吸え」といわれタバコも覚えてしまう。
禁酒失敗に失敗、さらに喫煙家にもなってしまうという最悪の流れに(笑)
<⑤当時にしてはめっちゃデカい>
・・・ご覧いただけただろうか?
プロフィールにも書いたんですが当時にしてはすごく大きいんです。
でもスーツとか似合いそう!
総括
ほかにもたくさんエピソードはあるのですが、今回はここまでです。
「一万円の人」とだけ認識してたらとってももったいない!!
諭吉先生の「学びて富み、富みては学ぶ」って大事ですよね。
自己投資をすることで成長して裕福になり、そのお金でさらに自己研鑽をして成長する、というループって大事なんだなって改めて感じました。
引用: